O que é que posso fazer para Miki ?

 Fehérの死を知って一晩たって。気持ちも落ち着くだろうと思った。しかし、さすがに仕事中に声を上げて泣くことはなかったが、考えようと思っているわけでもないのに、ふとした瞬間、知らぬ間に彼のことを思い出しては、涙を浮かべてた。「どうしたの?」と周りから言われたが、「何でもない」と誤魔化した。話したところで分かってもらえないことを分かっていたから。

 いつもは日本とポルトガル、ヨーロッパとの温度差を嘆いているけれど、今回だけは救われたと思う。BBCではスポーツニュースのたびにこの出来事を報じていたけれど、おそらく、日本ではそこまで取り上げていないだろう(見ていないから分からないけど)。この事実を認識はしていても、受け入れられない、受け入れたくないというのが本心。日本にいればこの話題から避けたいと思えば避けられる。それは無理なことではあるけれど。それにポルトガルの知人とも連絡を取っていない。それでもメールであれば、読まずに放っておくことも削除してしまうこともできる。でもリアルタイムであるもの−電話であるとか、チャットであるとか−だったら、受け入れざるを得ない。現実逃避したところでどうなることでもないのだけど。

 「たら、れば」を上げたらきりがないのは分かっているけれど、おそらくそれを一番実感しているのはCamachoだろう。実際にCamachoはMarca紙にこうコメントしている。「数分前に彼にピッチに入るように告げなかったら、あんなことは起こらなかったかもしれない。彼がピッチに倒れたのを見ても、何もすることが出来なかった。」と。

 実はこのニュースを知って、思い出したことがあった。私が高校生のころだからもう10年ほど前のことなんだけど、中学のときの同級生がやはり突然死をした。体育の授業中に持久走をしていて突然倒れたのだという。いつも冗談ばかり言ったりふざけてたりした子だったから、そのとき、先生はまた何かやってるのかと思ったらしい。でも、彼は動かず、急いで駆け寄ったらもう心臓は止まっていたのだそうだ。お通夜にも出たけど、今でも彼の死は信じられなくて、同窓会をやったらひょっこり来そうな気がしている。
 選手たちのハードスケジュールを取り上げたり、今回の場合は救急車の到着が遅かったのが原因だと報じられたりしている。もちろん、それも要因のひとつだったのかもしれないけど、でも、死というのは突然やってくるのだと実感する。個人的なことをもっと言えば、ここ数年で祖父がなくなったり、事故でいとこを2人亡くしたり、父は心臓を患っているため、いつ死んでもおかしくないと医者に言われたりしている私は、死は身近なものだと思っていた。私自身、いつ死んでも後悔しないように生きないといけないと心がけているつもりだった。でも...

 帰ってきてからずっとニュースを訳していた。泣かずには読めないことは分かっていたけど、多くの人にこのニュースを知ってもらいたい。亡くなったことを報じて終わりではなく、その後のことも知ってもらいたい。彼のために私が出来るのはそのくらい。自己満足だってことは分かってる。こんなちっぽけなサイトでは限界があることも。でも、何かをやらずにはいられない。

 もし、Fehérに対して何かメッセージを送りたいと思ってる方がいらっしゃったら、どうぞメールを送ってください。日本語しか...という方でも、責任を持って必ず訳して送ります。